会員研鑽ノート

column

巳正月(みしょうがつ)について

愛媛  高龍寺  愛媛支所  鴨井 悠真  35 

僧侶歴:12

2024.04.16 update.

私の地元には巳正月という風習があります。
十二月の辰の日に、今年お葬式を行った家にお参りし、読経するというものです。
現在は仏様になってからの初めてのお正月をみんなでお迎えする風習だと言われておりますが、元々は村上水軍の弔いが始まりだと言われております。
村上水軍は当時敵無しと言われるほどの強い海賊だったのですが、同じ海賊である九鬼水軍に負けてしまいます。
村上水軍は役人には嫌われていたのですが、地元の人たちにはとても人気があったそうです。

地元の人たちが村上水軍のために何かしようという話になったのですが、人気があるからといって海賊の弔いを堂々とするわけにはいきません。そこで家にお坊さんを呼んでこっそりとお経をあげていたそうです。それが長く続くうちに、今ではご先祖様のご供養になっていったそうです。

十二月の辰の日に家でお経を唱え、次の日の巳の日に変わる午前零時ごろにみんなでお墓参りをすることから巳正月と名付けられたそうです。
夜中にお墓参りをするというお話ですが、やはり海賊のお墓参りをしている事をお役人に知られるわけにはいかないという理由だそうです。お墓参りの最中は誰も何も喋らず、もしも誰かに会っても挨拶もせず互いに知らないふりをするという徹底ぶりだったそうです。

巳正月の時のお墓参りには、お餅を持参してお墓の前でバラバラに切るという風習があります。当時はそのお餅を敵の首に見立ててお墓の前で切ることで、かたき討ちの代わりにしていたそうです。
ちなみに別の地区では同じことを巳、午の日に行っているので巳午(みうま)と呼ばれております。
最初に巳正月を村上水軍の弔いと言いましたが、平家の弔いという説もあります。村上水軍にしろ平家にしろお役人に知られるわけにはいかないので、ちゃんとした資料を残せなかったのではないかと言われております。
現在では村上水軍と巳正月の関係を知る人はほとんどおりません。
しかし、これを現在まで残そうとしてしてくれた先人たちに報いるためにも「毎年やっていることだから」という漫然とした気持ちではなく、常に真剣な気持ちで臨みたいと思います。